活動報告 H25.8.24

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活動日 H25.8.24


「三島街道を復元する会」も平成15年10月の発足から満10年となり、毎年4月から11月まで月1回、年8回を活動日として計画してきました。過去には台風や豪雨、また、降雪等により中止となった日もありましたが、これらの日を除いても計62回の活動を実施しました。作業内容は崩落個所の整正や桟橋の設置、道片の整備や小径木の撤去、幅員の拡幅などで、参加者には事故や怪我もなく現在に至っています。しかし、ここ数年新規の入会者が滞っていることや当初より参加して下さった会員の皆様の高齢化等により退会者が目立ち始め、また、「三島街道を復元する会」の発起人である故服部吉雄氏の突然のご逝去(平成18年4月末)で遺志の継承が希薄になってしまった事もあり、参加者が集まらず中止にせざるを得ない状況が多くなったことから、今期限りで会を解散する運びとなりました。
発足当初より日光森林管理署の理解と協力もあり、旧「男鹿橋」より「桃の木峠」までの約9Km間の整備は順調に進んだものの、全行程23Kmある中、塩原側への着工までには至りませんでした。道片の途切れている個所の整正や崩落個所の修復、小径木の撤去や下草刈り等は、日光市側(旧藤原町横川)の国道121号線(会津西街道)を横川の集落内から「ワイルドフィールズおじか」キャンプ場に向かって進み、キャンプ場より横川林道を向山(標高1,160m)方面に入ったところにあるとりつきから、三島街道跡を日留賀岳(標高1,849m)の稜線に向かって登り、通称『桃の木峠』を超えて塩原側(現那須塩原市)に入るルートまでは終了しました。

このキャンプ場から東の山々を望むと、鹿又岳(標高1,817m)や男鹿山(標高1,777m)の頂上付近には環境破壊等の理由で完成半ばで廃道となった「塩那道路」の掘削跡がハッキリと確認できます。
この道路は、観光道路「塩那スカイライン」として塩原から板室までの間で構想された道路ですが、最高地点が1,700mを超える道であり、その高低差を登り降りするためにつづら折りを繰り返した結果、非常に長い道のりとなってしまい国道400号経由のルートと比較してショートカットとして機能しないこと、そのため各地のスカイラインと同様の有料道路として整備しても通行量が見込めないことから計画が凍結している道路です。2013年現在、塩原 - 土平(どだいら)園地間及び深山園地~板室間のみが開通しており、それ以外の区間は土砂崩れや環境破壊などを防ぐ措置を講じつつ、自然に任せるなどして廃道とするとしています。 なお、土平より先にもパイロット道路が通じていますが、那須塩原警察署が通行止(歩行者も含む完全通行止)の規制を敷いており、道路管理関係者と一部の地元住民以外は一切の進入ができない状況です。また、この道路の建設に係る工事用道路として横川の集落を経由してキャンプ場より先に資材の運搬道があったようですが、現在は場荒れがひどく定かではありません。


活動日 H25.8.24